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在日の複雑な思い・・・
2009年03月01日 (日) | 編集 |
韓国に行くたびに、複雑な思いになることがある。
今回2月の滞在時もそうだったのだが、韓国に行くと在日韓国人は「日本人扱い」されるってことだ。

ある意味それは当然のことなのかもしれない。
私たち在日は韓国人とは言っても、私のオモニのように大きくなってから韓国から日本に来た人を除いて、ほとんどが日本で生まれ、日本語を「母語」として育ってきている。

だから、当然?韓国語を話せない在日のほうが多い。
親が相当意識を高く持って、韓国語を教育しない限りは・・・。

だから、韓国に行くと、流暢に韓国語が話せないから、当然「日本人」だと思われる。
おまけに帰化なんてして日本のパスポートなんて持っていたら、余計にそうだ。

いくら在日が意識の中で「自分は韓国人」と思っていても、韓国に行けば「日本人」扱い。
初めて、そのことを感じたのは、高校のときに民団(韓国系の団体)で夏季学校で2週間ほど韓国に滞在したときだった。

当時私は、韓国語がまったくわからない状態で、ハングルを見ても何かいてるのかまったくわからないから、気分が悪くなるほどだった。

そんな中、ホームステイさせてもらった同じ高校生の女の子のとコミュニケーションをとる手段は、ひたすら英語。
それで、その子とロッテワールドに遊びに行ったとき、その子が私のことを在日韓国人だとある店員に紹介したら、その人は私に「どうして韓国人なのに韓国語が話せないのですか?」と言ってきた。
勿論韓国語で。
それをそのチングが英語で訳してくれたから、意味がわかったのだが・・・。
私はその人が韓国語で言ってるから、意味はわからないにしても、何だか私のことをあまり快く思ってない雰囲気だけは英語で訳してくれる前から感じていた。

そして、訳してくれたチングも雰囲気から同じようなことを私に対して思っているのかと思うと、とても悲しくなった。

日本でいつも在日韓国人であることから来る疎外感を感じていた私は、当時「でも母国に行けば母国の人々は在日を温かく迎えてくれるのでは」という幻想を抱いて韓国に行ったわけだが、その幻想はものの見事に砕け散った。
韓国でも在日はやはり「外国人」だった。
いやむしろ、韓国人のくせにどうして韓国語が話せないとなじられた。
彼らからすると、朝鮮半島を植民地支配していた日本の言葉しか話せない韓国人など、「許されない韓国人」であるかのように・・・。

そのとき、私は思った。
日本に住む在日が、好きで日本で住んでるわけじゃない。
朝鮮半島の植民地化ということがあって日本に農地を奪われたりして、食べていけなくなったから日本に渡った人が多く、戦後は朝鮮戦争などで故郷は戦地になって、帰っても生活のすべもないから帰るに帰れず、仕方なく故郷を偲びつつ日本に住んでる人も多いし、日本で言われなき差別とたたかいながら必死で生きている。
なのに、そうした在日のおかれてきた状況に同情するどころか、本国の韓国人はそういう在日の歴史になにも関心がない、あるいは知らない、興味がない、無理解に思えるその一言に大変ショックだった。
私は本国・韓国人は、そういった在日の歴史的経緯について当然知ってるものだとばかり思っていたから・・・。
(確かにその人が言うように、日本で生まれ育っても親が子供に韓国語を教えて話せるようにするとかするのが「韓国人」としては「理想」ではあるだろうけども・・・。私の場合は母がネイティブでも「自分が日本語を学んで生活していくのに必死で、子供に韓国語教育する余裕なんて一体どこにあるねん!」と関西弁で一喝されましたから 汗)

そんなあまり快くない経験から、ますます韓国語を勉強する気などする気もせず、韓国語を勉強したいなどとまったく思わなかった。
(まあ、いま考えればむしろ言われたことを悔しく思って、韓国語を勉強しろよとも思うのだが 笑)

でもあるとき、韓国の米軍基地周辺の基地被害の実態を現地の韓国の方が訴える講演を聞く機会があり、そのときに通訳の日本語の訳があまりにひどく「どうして自分は同じ韓国人なのこうして基地被害に苦しんでいる人が切実に訴えかけている話を、通訳を通してしか理解できないんだろうか?」と自分に悔しさを感じた、それが最初のきっかけで韓国語を勉強しなきゃと思った。

それから、その後韓流ブームなどもあり、多彩な韓国語教材が日本でも出版されるようになり、いまでは家に何冊も韓国語の本が並んおり、以前よりは多少は?韓国語は私もわかるようにはなった。

でも、やはり自分の言いたいことをスムーズに伝えるレベルに達しているわけでもないし、発音もネイティブではないので、今回2月に韓国に滞在した時も「やっぱし私は日本人扱いされるんだなぁ~」と思って、少しさびしかった。
また、やはり韓国人のチングに自分が「在日韓国人」だというと、以前と全く同じように「どうして韓国人なのに韓国語が話せないんですか?」と今回も言われ、そのときは「そんなこと言うけど、日本で生まれて育ってるんだから、仕方ないでしょ?」って言ったけど、内心は韓国人がいつも何気なく発するその一言に、いまだにやはり傷ついてしまう自分がいた。
だから、こうしていまがんばって(って、どれぐらいよ?)韓国語勉強してるんだけど?って思う・・・。

そしてその複雑な気持ちと言うのは、何も韓国人チングにだけではなく、自分自身にもイライラしたりもすることがあった。
ひとりで歩いてるとき、やたら韓国人に道を聞かれたのだが、はじめは韓国語で「日本から(日本人と言わないのがミソ)来てるからわかりません」といちいち言っていたのだが、何度も聞かれるうちに、答えるのが面倒くさくなってきて「日本人ですから・・・」と言って、話を終わらせようとする自分がいて、自分で自分のことを「日本人」という自分にもなんだか腹がたってきたり・・・。

韓国人チングが韓国人の知り合いに私を紹介してくれる際に「日本人の友達です」って言うのを聞いて、これまた複雑な気持ちになったり。
私、日本人じゃなくて在日だって言ったよね?みたいな・・・。

しばらく自分が韓国に滞在するかもしれない時に、この自分の中でいつも感じる「日本人でも韓国人でもない居心地の悪さ」みたいなもの、葛藤みたいなものは、果たして解消されるんだろうか?

たぶん在日が留学や仕事で韓国に滞在するときは、ある意味そういう意味は日本人以上に色々悩むことが多いみたいだ。
以前同じ在日の人が1年ほど留学していたときの話を聞いたときも、本国・韓国人の在日に対する無理解で苦労したようなことを言っていたように思う。

日本人でも在日のことを知らない人も多いとは思うが、ある意味本国・韓国人は日本以上に在日に関して無理解に感じる面が正直ある。

私は本当幸運にも、周りの日本の友達は本当在日に対して理解のある人が多く、知らなくても私の話に耳を傾けて、理解しようとしてくれる。
だけど、本国・韓国人は実際のところ、どうなんだろうか?
もどかしいのが、在日のおかれてる状況や気持ちを本国の韓国人に理解してほしいとは思ってみても、そういった日常会話以上の高度なレベルの話をする語彙力・会話力・表現力が自分にはないということだ。
だから気持ちをうまく伝えれられる自信もあまりない・・・。
(でも、もっと韓国語を勉強して、そういった自分の気持ちを本国人にも理解してもらえるようにならなければいけないんだろうが・・・。)

カン・サンジュン東大教授が著書「在日」の中で、いろいろ在日として生きてきた上での葛藤した気持ちをつづり、いまでも悩み続けているようなことを書かれていたが、私の人生も一生あてどなく悩み続ける人生なのだろうか?

別に普段からそういうことばかりで深刻に悩んでいるわけではないが、時に悩んでは、なかなか自分の中で答えが出ず彷徨っている、そんな気分だ。

カン・サンジュンさんが漢江を見て、あるとき悟りが開けたようなことを言っていたけど、自分にもそういう悟りの境地が来るときを祈りたい・・・・。

たぶん日本と韓国の間で暗い歴史がなければ、こんなに日本と韓国の狭間で悩んだりもせず、「日本人」と言われることにも抵抗もなく、もっとドライに割り切れるんだろうが・・・。

まことに、在日コリアンの心境たるや複雑なものなり・・・(汗)。
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在日1世の祖母の死とピアニスト清塚信也さんのコンサート
2008年07月16日 (水) | 編集 |
去る7月13日、以前このブログでも紹介した、「のだめカンタービレ」の千秋の吹き替えをしていた、お母様が韓国人でいらしゃる清塚信也さんのコンサートに行ってました。

7月8日に祖母を亡くしたばかりで、相当テンションは低く、「こんな時にコンサートになんて行ってて良いんだろうか」という気になりつつも、もうずっと以前に買ったチケットもあることだし、友達も誘っていたので、今更いけないとも言えず、行ったコンサートでした。

しかし、結果的には、私が今まで行ったどのクラッシクコンサートよりすばらしいものでした。

ピアノの演奏のすごさもさることながら、清塚さんのトークがとても素晴らしく、笑いの中にショパンやベートーベンの人生を語りながら、彼らが作曲した曲の素晴らしさを教えてくれる、そんな、わかりやすくて楽しいコンサートでした。

ベートーベンの熱情、ショパンのノクターンや幻想即興曲など、どれも素晴らしい演奏ばかりでしたが、特に清塚さんの作曲された「祈り」「悲しみのワルツ」を聴いていて、その悲しい旋律に、亡くなった祖母の大変だった人生を思い涙がこぼれそうになりました。

私の祖母は韓国人なのですが、亡くなった後に祖母の息子であるおじさんたちから、生前の祖母の話を聞き、今まで私が知らなかった祖母の人生を知り、日本の植民地支配下の朝鮮での生活苦のために日本に来て、祖母が日本でしてきた並々ならぬ苦労を思ったとき、本当に天国では心穏やかにいてほしいと願わずにはいられませんでした。

日本の文字が読めない韓国人の祖父が、人が良いあまりしょっちゅう不渡り手形をつかまされては、その尻拭いに奔走したという祖母。
そんな経済的に大変な生活のなか、焼肉店を営むことで私の父を含め6人の子供を育てた、たくましい祖母だったそうです。

おじさんが「おばあちゃんはとても強い人だったけど、はじめからそうだった訳ではない。そうならざるを得ない状況がそうさせただけだ」と話していた一言がとても印象的でした。
どんなに辛くても子供たちには愚痴を決して言わない人だったらしいです。
夜にみんなが寝静まったころにひとり泣いていたそうです。

私の祖母の印象といえば、「厳しい人」「偏見がある人」という印象が強くて、祖母の大変な人生に思いを馳せることもこれまでなかったと、祖母の一面しかみていなかった自分を恨めしく思いました。

実際、祖母は自分自身が日本で在日コリアンであるゆえに差別されることが多かったであろうにもかかわらず平気で「黒人なんて・・・」みたいなことを言ったり、「部落の子とは遊ぶな」みたいなことを平気で孫の私に言うような人でした。

私は同和教育の徹底した学校に通っていたので、どうしてそんな人を差別するようなことを祖母が平気で言うのか理解できませんでした。
しかもましてや私たち在日コリアンは日本では差別されている存在であり、誰よりも差別される人間の痛みや辛さを知っているにもかかわらず、そういうことを平気で言う祖母が私には理解できませんでした。

だから私の中で祖母のイメージは「差別意識が強い人」というイメージがとても強く、それ以外の祖母のイメージが、正直私がまだ子供だったこともあり、ありませんでした。
しかしそれもいま思えば、決して良いことだと言えませんが、自分が差別される存在だったからこそ、自分より下がいると思わなければやっていけない、そんな心理が働いていたからだったのかもしれません。

私が大学生になって在日の歴史に興味を持ち始め祖母になぜ日本に来たのかなど、色々聞きたいことが多くなったとき、すでに祖母は薬の副作用などで口が利けない状態で、もやは何を聞くことも出来ませんでした。
だから結局、私が直接祖母の口から苦労話を聞いたことは一度もなかったのです。

しかしながらおじさんたちから断片的ではあれ、祖母の苦労した話を聞き、自分が祖母のことを本当は何も知らなかったのだなと思わされました。
でもよく覚えているのは、祖母が孫の私たちに、もうお腹がもういっぱいだと言っているのに「もっと食べろ、もっと食べろ」と、しつこいほどに何度も言ってきたことです。

一度どうしてそんなにしつこく、食べろ食べろと言うのか聞いたとき「おばあちゃんが若かったときはろくに食べ物も食べれずに、本当に辛いを思いをしたから。」と言っていたことがありました。
当時自分はその祖母の置かれていた苦しい時代背景など小さかったのでよくわからずに、ただフーンと思っていただけのような気がしますが、いま思えばもっとどんな状況に祖母をはおかれていて、日本に来ざるをえなかったのか聞いてみたかったです。

清塚さんのコンサートに話は戻りますが、彼の演奏を聞いたとき、祖母の困難のたくさんあったであろう人生と、最後入園していた施設側の不手際で骨折させられて亡くなったという可愛そうな亡くなり方を思い出し、ただただ涙がこぼれそうでしたが、清塚さんがトークで「悲しいとき辛い時、いつも自分自身音楽に慰められてきた。だから自分の奏でる音楽が少しでも人の心を癒せるのなら」みたいなことをおっしゃっていたように、彼のかもし出す音楽に、悲しみに沈んだ心も癒される思いでした。

ベートーベンもショパンも、辛い経験をしたあとほど後世に残る素晴らしい曲を作っているらしいです。

清塚さんは「音楽は悲しみや絶望から生まれるもの」のようなことをおっしゃっていました。

だからこそ、悲しみや絶望に沈んだ心も、その音楽に共鳴し同時に悲しみも昇華していくのかもしれません。

最近東方神起ばかりで、クラッシクをあまり聴いていませんでしたが、辛いとき悲しいときは、やはりクラッシクを聴くと心癒されるとつくづく思いました。

それにしても、清塚さんのピアノの音色には驚きでした。

透明で澄んでいたかと思ったら、とても情熱的で、やさしい愛も奏でる。
感性の鋭さや豊かさをとても感じる方でした。

最後には、ご本人が、ごみごみした東京から奈良に来てなんだか開放的な気分ですと、即興で作った少し途中ジャズテイストが入った素敵な曲まで披露してくださり、とても驚きました。その豊かな才能に。

アンコールでは「のだめ」で千秋が弾いていた、曲名がすぐに出てこないけど、多分ラフマニノフの協奏曲を、情熱的にまさに「体全体」で弾いてくださり、ただただその演奏に圧倒されるばかりでした。

あんなすごいピアノの演奏を聞かせてくれた、清塚さんという方の才能と努力に、ただただ敬服するばかりです。

CDもその場で購入してサインと握手までしていただけ、本当に夢のようなひと時でした。

もしまた近くで彼のコンサートがあるときは、絶対にまた行きたいと思う、そんな魅力溢れるピアニストだと思います。

美しく悲しい音色で私を癒してくださり、心からありがとう、清塚さん。
在日コリアン・松田優作に思う
2008年05月17日 (土) | 編集 |
JUGEMテーマ:韓国


「太陽に吠えろ」などでその名を日本の芸能界に刻んだ、松田優作さん。
彼が在日コリアンである事実は意外に知られていないようです。

かく言う私も、以前、チェジウ主演の韓国ドラマ「天国の階段」でテファ兄ちゃん役を演じていたシン・ヒョンジュンが松田優作さんの大ファンで、同じ韓国人として彼を尊敬しているとおしゃっていたのを聞き、初めて松田優作さんが在日コリアンだったことを知ったぐらいです。



松田優作さんはお母さんが韓国人だったそうです。
お父さんは日本人だったらしいですが(つまり韓国人と日本人のハーフってことですね)、結婚して生まれた子供ではなかったため、松田優作さん自身は韓国籍だったらしいです。

でも、彼は「太陽に吠えろ」で人気が出始めた1973年、国籍を日本に変える為、帰化申請をしたんだそうです。

それは「在日韓国人であることがわかったら、みなさんが失望すると思います。特に子供は裏切られた気になるでしょう」との理由で。

この話を聞いて、私はとても胸が痛みました。
在日であることを隠し続けなければいけない、日本の現実。

事実、日本の芸能界にはかなり在日コリアンが多く、在日の間では周知の事実と知られている芸能人も沢山おられます。

でも彼らは決して自分で自分を「在日だ」と明かそうとはしません。
いま「韓流」だ、なんだと言われてもです。
それが動かしがたい日本の現実ではないでしょうか?

でも、やはり現在は松田優作さんの時代と違って、「韓流」という文化の流れがあり、私が高校生だった10年以上前を考えると、自分が在日コリアンであることを隠さず、打ち明けやすい状況になったとは思います。

かく言う私も、普段は通名(日本名)で生活しているため、自分から言わなければ日本人としか見られていませんが、最近は新しく友達になる人にも古い友人にも、積極的に自分が在日コリアンであることを言っています。

私が高校生の時なんて、思春期だったこともあり、親しい友人に自分が在日コリアンであることを打ち明けることすら大変な勇気がいりましたが、いまは韓国ドラマの影響もあり、むしろ、韓国人の友人をもてたほうが嬉しいみたいな反応もあるので、とても言いやすい環境になりました。
「隔世の感」とはこのことを言うのでしょうね。

本当そういう意味では時代は変わりました。この流れが、単に文化・芸能のレベルにとどまることなく、一般市民のレベルで相互理解がすすむ方向に行ってくれたらと切に願っています。

実は私が東方神起を応援するのも、そういう点も正直大きいです。
やはり日本の中で韓国人グループが人気が出てくれれば、日本人の中に少なからずある韓国・朝鮮人に対する偏見もなくなるからです。

事実、東方神起のファンになる人の中には、初めは「韓国人グループ?別に興味ない」みたいな人が多いんです。
でも彼らの歌や踊りを見て聞いて、すっかり東方神起を好きになり、それから韓国にはまってしまうって人が多いみたいなんです。
東方神起好きが高じて、韓国に留学する人も結構いるみたいですから。
そんな風に、より一層の相互理解が深まることは、とても良いことですよね。

かく言う私も元々韓国留学したかった人ですが、いままた「留学したい病」が発病しそうでヤバイです・・・。

話は戻りまして、松田優作さんの子供さんといえば、松田翔太君と松田龍平君ですよね。
彼らは韓国人クオーターにあたるんですね。

翔太君は大ヒットドラマ「花より男子」で西門総二郎役を演じて人気が出ましたよね。
(私も「花より男子」好きです。)

一方、龍平君は韓国人の血を引いてるからなのかどうかわ知りませんが?数年前に
「プルコギ」という韓国人監督の焼肉ムービーに主演してましたね。

父・松田優作さんの時と違って、彼らには、日本人とか韓国人とか関係なく、自分の出自を隠すこともなく、伸び伸びと俳優さんとして頑張ってほしいと、いつも応援しています。

ところで、松田優作さんの人生を、前妻であった松田美智子さんが書いた「越境者 松田優作」という本があるそうです。



この本は、松田優作さんの反骨精神が彼の出自によるものであることがわかる、そんな本だそうです。興味のある人は是非読んで見て下さい。
私も是非読んでみたいと思います。
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