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『白磁の人』
2010年08月10日 (火) | 編集 |
今年2010年は、「日韓併合」から100年の節目の年ですね。

今日も管首相が日韓併合についての談話を発表し、1995年の村山内閣のときの談話にのっとり、かつての日本の植民地支配に対する謝罪と、日本に現在もある朝鮮王朝時代の文化財などを返還するという趣旨のことが言われておりました。
日帝時代に朝鮮半島から日本に持ち去られた国宝級の宝は多くて、今回のもまだ一部に過ぎないんでしょうが、戦後65年もたってるのに、いまだに返してなかったの?って正直私なんかは思いました。

まあ、今回の談話、日本帝国主義の過ちを認めてるという意味では評価できるんでしょうが、私がこうしたことがマスコミなどで取りあげられるたびに不愉快なのは、こうしてまあ意味素直に?謝罪の趣旨の談話が出るたびに、自民党とかいろんな政党の方々から「謝罪外交」だの「いつまで卑屈になるんだ」的なご意見が出ることです。

正直、いつまでも謝罪する必要があるのは、これまでまともな戦後賠償を行ってきていない日本の政治に問題があるのであって、さっさと自ら犯したの過ちを「侵略戦争」と認めて、被害を与えた中国や朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国にきちんと心から謝罪し、直接的に被害を受けた人々に何らかの形であれ補償をきちんと行い、歴史教育の場でもきちんと戦争の歴史を教えていれば、戦後65年もたってからもなおこうした談話を出さなければいけない理由などなかったと思うのですがね?

たとえば韓国への対応ひとつとってみても、戦中犠牲を強いられた人々にまともに謝罪するどころか、神経を逆なでするような発言、たとえば「併合は正しかった」なんてことを言ってきたのが自民党の連中なわけです。
いくら時の政府が一時的に「謝罪」してみたところで、政治家の大半がそんな考えを持ってるのなら、それは本当の意味で謝罪したことにも反省したことにもなってないし、反省してると信じきれないのが被害を受けた側の、痛みを受けた側の感情ってもんじゃないでしょうか?

まあ、無理もないんですがね・・・。
なんせ日本の政界というのは、戦犯級の人々やその子孫がしきってこれまで政治してきたわけですから。
本当なら、ドイツみたいに、ナチスに関わった人は政治から追放されなければいけない。
にもかかわらず、日本の政治は、当時はそれが占領軍GHQにも都合が良かったのか?戦争犯罪人たちもろくに追及もされず(むしろアメリカは当時日本が研究していた細菌兵器の情報を得る代わりに免罪した人もいる)、天皇も戦争責任を取らされるわけでもなく、戦後も戦中政治をしきっていたのと同じような人々が政治をしたわけですから、ようは、戦争したことなんてほとんど反省しちゃいない人々によっ政治が行われてきたのですから、仕方がないといえば仕方がないわけです。
今の日本の政治家連中、特に自民党出身の人々、とくに2世議員のほとんどは、戦争したことへの何の痛みも反省持っちゃいませんよ。だから兵器で唯一の被爆国でありながら、日本も核兵器を開発しろ(元安倍総理)だの、なんだの言えちゃう。

・・・とかいういまの政治家への私の憤慨は、さしあたりおいといて・・・。

そもそもこの「日韓併合」とか「韓国併合」という言い方、私には正しい言い方なのかよくわかりません。
だって、今いわゆる「韓国」と言われてる国は、朝鮮半島が分断されて出来た国の名前であり、植民地支配の当時は存在しないわけだから、朝鮮半島が植民地支配されていたときに存在しない国の名前をとって「韓国併合」というのもおかしい気もするし、当時の日本帝国主義が現在「韓国」と呼ばれている部分のみならず、現在「北朝鮮」と呼ばれている地域も含めて、朝鮮半島全域を植民市支配下においていたわけだからです。
「韓国併合」というとまるで現在「韓国」といわれている地域だけを日本が併合したかのような、誤った印象を与えないのか?と言う危惧も正直あります。
(のちに分かったことしては、ここで言う「韓国」は当時の「大韓帝国」を縮めて「韓国」としているとのことですが、今の国名と同じになってしまうのでやはりどちらにしても「韓国併合」はややこしい規定だと私は思います。)

いくら現在北朝鮮と国交がないとか言っても、歴史の事実として今「北朝鮮」と言われている場所も日本は植民地支配したわけですから、その点をあいまいにしてはいけない。
北の「拉致」を人道的に非難したいのなら、かつての日帝による植民地支配や強制連行の事実こそ、日本が先に謝罪し補償して、北朝鮮に「人道国家・日本」の姿でも見せ付けるべきでしょう。
まあ、そんなこと今の日本政府に言ってみたところで、どうせ「拉致」問題も政治的に利用してるに過ぎないからしないし、ましてや「人道国家」でもないからしないのが、今の情けない日本の政治のありようですが。

大体謝ることが「恥」という概念自体がおかしい。
普通一般的に自分が間違って相手に痛い思いをさせたのなら謝ることの出来る人のほうが、人としてはすばらしいわけです。
にも関わらず、国を代表する人々がこぞってそんな考えを持っているから、日本はいつまでたっても尊敬される国にはなれない。
過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」と言ったヴァイツゼッカーさんのつめの垢でも煎じて飲まして差し上げたい。
過ちを認めて謝罪することは確かに誰にだって勇気がいることですが、そうしてこそ、真に勇気のある人間になれるんじゃないでしょうか?

前置きが長くなりましたが、今日は、そんな情けない日本の政治家のみなさんと比べて、はるかに人間的に尊敬できる、かつて朝鮮の地で朝鮮人から尊敬され慕われ、朝鮮の土となった、ひとりのすばらしい日本人の話をしたいと思います。

先日京都をトンペンさんと訪れたときに、一緒に行った高麗美術館でたまたま行われていた特別展「浅川伯教・巧が愛した朝鮮美術」展で、その尊敬に値する方・浅川巧さんの名前を私ははっきり認識しました。

この展示会を見る前にも、浅川兄弟のことを新聞で見たことがあり「白磁の人」という小説があるということは知っており読んでみたいと思ってはいたのですが、今回思いもかけず高麗美術館で開催されていた展示会がまさにその「白磁の人」である浅川巧ら兄弟の痕跡をたどるものであったわけです。

朝鮮が日本の植民地支配下にあった当時、他の日本人たちが植民地の宗主国の人間として、日常的に朝鮮人を軽視し蔑視し迫害する態度を取るのが当たり前だった時代において、そうした差別や偏見といった偏狭な考えから一切自由だったどころか、むしろ朝鮮人以上に朝鮮の美術を、特に陶磁器を愛して、そして朝鮮人とともにあった浅川兄弟。
とくに弟である巧さんは、心から朝鮮の文化や芸術・自然、そしてなにより朝鮮の人々を愛して、自らも朝鮮人と同じいでたちをし、苦労を共にしたり、苦しい家庭には援助をしたりなさったそうです。
彼が40歳という若さでなくなったときも、彼を見送る列に朝鮮の人々が絶えることがなかったというぐらい、朝鮮の地で生き、朝鮮人に愛されたのが浅川巧氏だったそうです。

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当時の日本政府による誤った教育のために、多くの日本人が日本人以外のアジア人は劣等民族であるという眼からしか朝鮮の人を見れなかったのに対して、何人とかそういう眼ではなく、人と人としての、人間として当たり前のことを、自らも日本人に朝鮮人の肩を持つのかと馬鹿にされつつも、むしろそうした偏見をものともせず、実践した浅川巧さんらの存在は、当時の朝鮮においては、まさに人々を照らす一筋の清い光のような存在だと思いました。

日本の植民地支配下でもこうした日本人がいたといういうことは、私にとっても救いであり慰めであり、こうしたすばらしい人の存在をこそ、歴史の教科書でも教えるべきではないだろうか?と私などは思うわけです。

1964年、韓国ソウル市立忘憂里墓地に韓国山林庁林業研究員職員一同によって建立された「浅川巧功徳の碑」があるらしいですが(なぜなら巧さんは当時日本の伐採によって緑が失われてしまった朝鮮の山の緑を復活させる活動を熱心にされていたからです)、碑の中央には、「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中で生きた日本人、ここに韓国の土となる」と刻まれているそうです。

今度機会があれば、是非訪れてみたい場所がまたひとつ増えました・・・。

朝鮮半島併合100年の年に際して、彼の存在を是非日本の多くの皆様にも知ってほしいし、彼の生き方から、私たちが学ぶことが沢山ある気がとてもします。

まるで素朴な白磁の焼き物のように、人々を慰め育んだ愛の人・浅川巧さんのような存在こそ、日本が誇るべきではないでしょうか?

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白磁の人
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司馬遼太郎「街道をゆく」に見る絆
2008年10月14日 (火) | 編集 |
JUGEMテーマ:韓国語


司馬遼太郎さんの「街道をゆく」。
とても有名なシリーズですよね。読んだことはなくても名前は聞いたことある、みたいな。
私もちゃんとまだ読んだことがありません(泣)

この「街道をゆく」で司馬さんが「日本人とは何か?」という動機の元に分析をしている箇所があるらしく、民団新聞で詳しくそのことについて紹介されていた記事が、とても興味深かったので、少し紹介したいと思います。

司馬さんが1971年か週刊朝日で掲載したこのシリーズ最初は「湖西のみち」というものでした(ちなみに「湖西」とは、滋賀県琵琶湖西岸地域だそうです)。

湖西を辿りながら、「日本人はどこからきたのか」というう問いかけをしていたそうです。そして司馬さんはその問いを、はるか昔に朝鮮半島から渡来した人々に答えを求めているそうです。

司馬さん曰く「『朝鮮などばかばかしい』という、明治以後できあがった日本人の悪い癖に水を掛けてみたくて、私はこの紀行の手始めに日本列島の中央部にあるお生みを選び、いま湖西のみちを北へ進んでいるのである」と。

そして近江の景色は、彼の期待に答えたそうです。

「われわれに可視的な過去がある。それを遺跡によって見ることが出来る。となれば、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきたことは、まぎれもないことである。その証拠は、この湖西を走る車の窓の外を見よ。無数に存在しているではないか。」と、司馬さんは述べられています。

実際、琵琶湖周辺には、渡来人ゆかりの遺跡が多く、大津京の大御殿とされている場所は錦織氏、その北に最澄の実家である三津首(みつのおびと)氏、さらに上村氏、錦村氏、百済氏と通続き、宮跡最北部の穴太(あのう)氏の本拠・穴太には、オンドル遺跡まであり、そしてどの部族も百済系と推定されるらしいです。

湖北には新羅系の白鬚神社、湖東には新羅系秦氏の集積地もあり、琵琶湖を取り囲む近江の地は、まさに「渡来人の里」と言えるんだそうです。

実際、司馬さんの言う「日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下し大量に滴り落ちてきた」ということは、私なんかは、韓国ドラマを見ていると、顕著にそれを感じることがあります。

韓国ドラマ見て、「あ、この人、日本の俳優の○○さんに似ている!」って思うことがしょっちゅうありますから(笑)
とくに、男性を見ていて、そう思うことが多いですかね。
正直、女優さんとなると、どこまでが本当の顔で、どこまで整形かわからないものですから(汗)。

昨年、韓国に行ったときは、朝のドラマ(韓国は朝から日本の昼ドラみたいなドロドロな愛憎劇してたりするんですよね 汗)を見ていたら、劇団ひとりにそっくりな俳優さんが出ていて、ウリオッパが「この人劇団ひとりにそっくりや!」って驚いていたぐらいですから!!(笑)

そんな風に、顔だけ見ても、結局、血が同じ所から来てるんだな、って思うときがあります。

司馬さんの本ではないのですが、実は、以前図書館で借りて読んだ、朝鮮半島から日本に渡ってきた料理を紹介した本でも、とても興味深いことが書かれていました。

いま日本で定着している麹を使用した酒造りの技術は、朝鮮半島から渡ってきた渡来人によってもたらされました。
麹でつくる酒造りの技術が伝えられる以前は、米を口のなかで噛み砕いて唾液と混ぜ合わせて発酵させることが行われていたらしいですが、その生産方法は、効率がとても低かったそうです。
今の日本の酒つくりの技術が、朝鮮半島から伝わった証拠に、日本にある酒の神様を祀っている神社は、全て渡来人を祭っている、とその本では書かれていました。

有名な、酒つくりの神様である、京都の松尾大社も、実は渡来系の秦氏の神社ですしね。
それ以外でも、沢山、渡来人を酒の神様として祭っている神社があるんだそうです。

そして、朝鮮半島から渡ってきた、酒作りの技術を持った渡来人たちが、集落を成した地が、現在も酒作りの有名な地域になっており、奈良県を例にとれば、王寺という酒どころが、そうだと書かれていました。

こういった歴史的な事実を知ると、純粋な「日本人」なんて存在しえないだろうし、少なくともいま「日本人」と言われている人々に、朝鮮半島の血が沢山混じっているのは明らかなことだと、私は思います。
(そして朝鮮の人も、中国だの大陸の色んな血が混じっているでしょうしね)

大体、「日本人」とか「日本」とか言いますけど、それは、あくまで現近代国家・日本が存在している現地点から歴史を見ていっているだけであって、いまは亡き、歴史の大家・網野善彦氏が、「日本論の視座」でも述べられているように、「『日本』はそれ自体、当然ながらまったく歴史的な産物なのであり、 それゆえ、いまだに広く世に行われている『はじめに日本人ありき』とも いうべき枠組に立った歴史像を、われわれはただちに捨てなければな らない」と、私も思います。

それは、昔の軍国主義教育で作り上げられたような、誤った「日本」の歴史観をもった人には、特に、言えることだと、私は思っています。

「日本」とか「韓国」とか、いまある既存の国家の枠に捉われて、国家的に対立するんじゃなくて、ある時代の古代人たちがそうであったように、日本と朝鮮半島の交流が、友好的に続いていくことを祈願して・・・・。
光源氏と朝鮮のつながり
2008年09月07日 (日) | 編集 |
JUGEMテーマ:韓国


今年は「源氏物語」千年紀に当たる年ですね。
巷では、特に京都では「源氏物語」にちなんでいろんな催しも開催されているようです。
かく言う私も、最近入院していた際に、あんまり入院生活が暇なので、本屋に行って源氏物語の漫画で有名な「あさきゆめみし 」を買い、高校生以来久しぶりに読みました。

いやはや、何度読んでも「あさきゆめみし」は、絵も実に繊細で素晴らしく、漫画の枠を超えた名作だな~と思ったしだいでございます。

ところで、この誰でも知っている「源氏物語」の主人公・光源氏の名前が、実は朝鮮半島とつながりがあることを知っている人は多分少ないと思われます。
かくいう私も、実はつい最近まで知らなかったのですから・・・。

しかし、最近知った事実では「源氏物語」では次のようなくだりが出てくるそうです。

若君(光源氏)の父親である帝が、若君の将来を考え、とある高麗人に人相を見させました。
するとその高麗人は「このお子は限りなく高い地位につく人相をしているけれども、帝位についたら世情が不安定になる」というようなことを言ったのです。
ほかの人相を見る人に見てもらっても、この高麗人と同じことを言いました。
だから帝はこの高麗人を信用し、若君を帝になれる皇子ではなく、臣下に格下げし、源氏の姓をつけたというのです。

しかも、この人相をみた高麗人と同じ人物かどうかはわかりませんが、同じく高麗人が、この若君の類まれなる美しさと才能をたたえ「光の君」と名づけたことから、「光源氏」を呼ばれるようになったというのです。

この事実を知ったとき、そんなことが本当に「源氏物語」に出てくるのか?と思い、実際、図書館で「源氏物語」の古典の文章を読んでみました。
すると、そのようなくだりがはっきりと書かれており、本当にそうだったんだと実感した次第です。

「高麗人」というと、高句麗の人かそれても漠然と朝鮮半島の人をさすのかは、私には定かではありませんが、とりあえず朝鮮半島から来た人であることに間違いはないでしょう。

少し話は飛びますが、日本に「高麗」の名の付く神社があるようで、やはりその神社は朝鮮半島に由来のある神社のようです。
いまは、ぺ・ヨンジュン氏主演の「太王四神記」が日本で人気が出てからは、埼玉にある高麗神社がとても人気で、参拝者がとても増えているらしいです。

そちなみに、神社ならどこにでも大概ある「こま犬」の「こま」もこの「高麗」から来ているそうです。それは中央アジアやインドのライオンをモデルに発祥したこま犬が、朝鮮半島を経て日本に伝わったからそう言われるようになったそうです。

何だか「高麗」つながりで色々書いてしまいましたが、ということで、実は「光源氏」の名前は高麗人がそう呼んだことからきたのですね。

なんでそういう設定に紫式部がしたかまでは、良く知りませんが、平安時代でも日本と朝鮮半島は深い交流が事実あったからなんでしょうね。

というわけで、「源氏物語」に見る日本と朝鮮のつながりでした~。

ところで、何気に、水も滴る良い男?光源氏のプレイボーイぶりを見ていると、なぜか妙にジェジュンを思い出すのは私だけ?
いや、別に実際のジェジュンが浮気な人かどうかは知りませんが、イメージがどうも何かかぶるんですよね。。これって私だけ?

それにしても、今回「あさきゆめみし」を読み返して思ったのは、光源氏はたしかにプレイボーイで美人が大好きだったけど、一度契りを交わした女性は、容姿が悪かろうがむしろそういう人こそ自分が面倒をみないとほかに見る人がいないと思って、きちんと大事に面倒を見ているのですよね。
外面的な美しさだけではなく、心の美しさもきとんと感じれる人として光源氏が描かれているのを見ると、そのプレイボーイぶりで女性たちを苦しめてはいても、何だか憎めないな~と思っちゃいました。

源氏物語千年紀。
千年。長いような、でも人類の歴史を考えれば短いような。
とりあえず、私たちの住む世界は、千年後、人類が存在しているのでしょうか?

あさきゆめみしを見て、人間という存在の諸行無常も感じる今日この頃なのでありました。私も高校時代と違って、年をとったのかもしれません(笑)
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