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在日1世の祖母の死とピアニスト清塚信也さんのコンサート
2008年07月16日 (水) | 編集 |
去る7月13日、以前このブログでも紹介した、「のだめカンタービレ」の千秋の吹き替えをしていた、お母様が韓国人でいらしゃる清塚信也さんのコンサートに行ってました。

7月8日に祖母を亡くしたばかりで、相当テンションは低く、「こんな時にコンサートになんて行ってて良いんだろうか」という気になりつつも、もうずっと以前に買ったチケットもあることだし、友達も誘っていたので、今更いけないとも言えず、行ったコンサートでした。

しかし、結果的には、私が今まで行ったどのクラッシクコンサートよりすばらしいものでした。

ピアノの演奏のすごさもさることながら、清塚さんのトークがとても素晴らしく、笑いの中にショパンやベートーベンの人生を語りながら、彼らが作曲した曲の素晴らしさを教えてくれる、そんな、わかりやすくて楽しいコンサートでした。

ベートーベンの熱情、ショパンのノクターンや幻想即興曲など、どれも素晴らしい演奏ばかりでしたが、特に清塚さんの作曲された「祈り」「悲しみのワルツ」を聴いていて、その悲しい旋律に、亡くなった祖母の大変だった人生を思い涙がこぼれそうになりました。

私の祖母は韓国人なのですが、亡くなった後に祖母の息子であるおじさんたちから、生前の祖母の話を聞き、今まで私が知らなかった祖母の人生を知り、日本の植民地支配下の朝鮮での生活苦のために日本に来て、祖母が日本でしてきた並々ならぬ苦労を思ったとき、本当に天国では心穏やかにいてほしいと願わずにはいられませんでした。

日本の文字が読めない韓国人の祖父が、人が良いあまりしょっちゅう不渡り手形をつかまされては、その尻拭いに奔走したという祖母。
そんな経済的に大変な生活のなか、焼肉店を営むことで私の父を含め6人の子供を育てた、たくましい祖母だったそうです。

おじさんが「おばあちゃんはとても強い人だったけど、はじめからそうだった訳ではない。そうならざるを得ない状況がそうさせただけだ」と話していた一言がとても印象的でした。
どんなに辛くても子供たちには愚痴を決して言わない人だったらしいです。
夜にみんなが寝静まったころにひとり泣いていたそうです。

私の祖母の印象といえば、「厳しい人」「偏見がある人」という印象が強くて、祖母の大変な人生に思いを馳せることもこれまでなかったと、祖母の一面しかみていなかった自分を恨めしく思いました。

実際、祖母は自分自身が日本で在日コリアンであるゆえに差別されることが多かったであろうにもかかわらず平気で「黒人なんて・・・」みたいなことを言ったり、「部落の子とは遊ぶな」みたいなことを平気で孫の私に言うような人でした。

私は同和教育の徹底した学校に通っていたので、どうしてそんな人を差別するようなことを祖母が平気で言うのか理解できませんでした。
しかもましてや私たち在日コリアンは日本では差別されている存在であり、誰よりも差別される人間の痛みや辛さを知っているにもかかわらず、そういうことを平気で言う祖母が私には理解できませんでした。

だから私の中で祖母のイメージは「差別意識が強い人」というイメージがとても強く、それ以外の祖母のイメージが、正直私がまだ子供だったこともあり、ありませんでした。
しかしそれもいま思えば、決して良いことだと言えませんが、自分が差別される存在だったからこそ、自分より下がいると思わなければやっていけない、そんな心理が働いていたからだったのかもしれません。

私が大学生になって在日の歴史に興味を持ち始め祖母になぜ日本に来たのかなど、色々聞きたいことが多くなったとき、すでに祖母は薬の副作用などで口が利けない状態で、もやは何を聞くことも出来ませんでした。
だから結局、私が直接祖母の口から苦労話を聞いたことは一度もなかったのです。

しかしながらおじさんたちから断片的ではあれ、祖母の苦労した話を聞き、自分が祖母のことを本当は何も知らなかったのだなと思わされました。
でもよく覚えているのは、祖母が孫の私たちに、もうお腹がもういっぱいだと言っているのに「もっと食べろ、もっと食べろ」と、しつこいほどに何度も言ってきたことです。

一度どうしてそんなにしつこく、食べろ食べろと言うのか聞いたとき「おばあちゃんが若かったときはろくに食べ物も食べれずに、本当に辛いを思いをしたから。」と言っていたことがありました。
当時自分はその祖母の置かれていた苦しい時代背景など小さかったのでよくわからずに、ただフーンと思っていただけのような気がしますが、いま思えばもっとどんな状況に祖母をはおかれていて、日本に来ざるをえなかったのか聞いてみたかったです。

清塚さんのコンサートに話は戻りますが、彼の演奏を聞いたとき、祖母の困難のたくさんあったであろう人生と、最後入園していた施設側の不手際で骨折させられて亡くなったという可愛そうな亡くなり方を思い出し、ただただ涙がこぼれそうでしたが、清塚さんがトークで「悲しいとき辛い時、いつも自分自身音楽に慰められてきた。だから自分の奏でる音楽が少しでも人の心を癒せるのなら」みたいなことをおっしゃっていたように、彼のかもし出す音楽に、悲しみに沈んだ心も癒される思いでした。

ベートーベンもショパンも、辛い経験をしたあとほど後世に残る素晴らしい曲を作っているらしいです。

清塚さんは「音楽は悲しみや絶望から生まれるもの」のようなことをおっしゃっていました。

だからこそ、悲しみや絶望に沈んだ心も、その音楽に共鳴し同時に悲しみも昇華していくのかもしれません。

最近東方神起ばかりで、クラッシクをあまり聴いていませんでしたが、辛いとき悲しいときは、やはりクラッシクを聴くと心癒されるとつくづく思いました。

それにしても、清塚さんのピアノの音色には驚きでした。

透明で澄んでいたかと思ったら、とても情熱的で、やさしい愛も奏でる。
感性の鋭さや豊かさをとても感じる方でした。

最後には、ご本人が、ごみごみした東京から奈良に来てなんだか開放的な気分ですと、即興で作った少し途中ジャズテイストが入った素敵な曲まで披露してくださり、とても驚きました。その豊かな才能に。

アンコールでは「のだめ」で千秋が弾いていた、曲名がすぐに出てこないけど、多分ラフマニノフの協奏曲を、情熱的にまさに「体全体」で弾いてくださり、ただただその演奏に圧倒されるばかりでした。

あんなすごいピアノの演奏を聞かせてくれた、清塚さんという方の才能と努力に、ただただ敬服するばかりです。

CDもその場で購入してサインと握手までしていただけ、本当に夢のようなひと時でした。

もしまた近くで彼のコンサートがあるときは、絶対にまた行きたいと思う、そんな魅力溢れるピアニストだと思います。

美しく悲しい音色で私を癒してくださり、心からありがとう、清塚さん。
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